〈わたし〉らしい暮らし?アストリッドに教えてもらったこと。
とてもあたたかい冬の日でした。
わたしがemeraldの活動の仕方を変えようと思ったのにはいくつかの理由がありますが、
直近で大きかったことは、
『アストリッドとラファエル』というフランスのミステリードラマを好きになったことです。
自閉症の犯罪資料局の文書係アストリッドが、正反対の性格のラファエルという刑事と、殺人事件を解決していく物語。
パリの街の空気を味わいながら、推理が進み、同時にアストリッドの自閉症としての暮らし方を垣間見ることができます。
作品はもちろんフィクションなのですが、自閉症の人がどんな風に暮らしているかを見るのははじめてで、
それはまるでわたしの理想の暮らし方のように映りました。
わたしは内向型人間で、HSPです。
HSPという言葉が知られる前から、自分の気質、性質について悩んで、たくさんの本を読みました。
感覚過敏は、五感を通り越して第六感にも及んでいたので(💦)、
スピリチュアルな方面へと探求が進みましたが、
人より体力がないこと、
刺激に弱いこと、
ストレスに弱いこと、
ずっと同じことを考え続けてしまうこと、
人の感情を自分のことのように感じてしまうこと、
しかし、集中して勉強し、かなりの知識を持つことができることなど、、、
内向型という脳の仕組みやエンパスという共感型の人間であるということがわかって随分救われたのを覚えています。
けれども、内向型である自分の生き方と、社会に慣れていく間に、
自分の気質を忘れてしまっているようなところがありました。
漢方茶の活動は、商いですので、たくさんの人に知ってもらうこと、つまり人脈や宣伝が重要です。
情報が多いことや、人と会うことで疲弊するのに、それをしなければいけないと思って、とてもがんばっていました。
いいご縁に恵まれたおかげで、うまくやれているように感じていましたが、
人脈というのは終わりがなく、どんどん繋がって増え続けます!
スマホのSNSから流れてくる情報もストレスの素になっていました。
仕事や生活の心配事が重なり、パニック発作が出てしまったのは、春のことで、とにかく夏はゆったり過ごそうとしていました。
そんな風にストレスを感じながらもなかなか生活を変えられなかった時に、
アストリッドの生き方はわたしに静かな衝撃を与えました!
書棚に囲まれてひとりで文書の整理をして、
いつも同じ服を着て、
決められた曜日に決まった店で食材を買い、
バッハを聴いて、
鉄瓶でお茶を淹れていました(アストリッドは日本びいきです)。
これがわたしのしたい生活だと感激しました。
(わたしは長く図書館司書として働いてきました!それは本が大好きなことのほかに音と光の刺激が少ないためです)
感覚過敏のため、イヤーマフを持ち歩いています。
(耳線代わりにイヤホンを持ち歩いています・・・何も聴いていないのに耳にさしています)
電話をかけるのが苦手で、電話をする前に自分と相手の会話をシュミレーションしたチャートをつくってから、電話します。
月曜日の夜にはラファエルの家で夕食をとり、
水曜日の夜には、「社会力向上クラブ」という自閉症者の集まりに参加して、
趣味はパズルです。
無鉄砲で愛情深い刑事のラファエルは性格や気質はアストリッドと正反対でありながら、アストリッドのことを理解しようと努めて、ふたりには事件解決という仕事を通して友情がうまれます。
そうか、こんな風に〈自分に合わせた暮らし〉をしていいのだと、涙が出ました。
いつの間にか、いや昔から、「ふつう」のものに合わせることを強いられてきたようでした。
「できない」といつも思わされました。
光と情報の刺激が強いので、
スマホもLINEも、好きじゃなく、「つながる」時代につながるのがいやだと言えなかったです。
YouTubeが苦手なのは、始まりと終わりがなく、情報がずっとなだれ込んでくるからです。
いつも同じ服(アイテムという意味です)を着ていたら、おかしいらしいので、一応少し変えて服を選んでいましたが、
いつも同じジーパンと、タートルネックのセーターに、同じベルトで十分なのです。
無印良品とユニクロとスタバが好きなのは、いつもだいたい同じものが並んでいるから。
ふつうの洋服屋さんは、季節ごとに毎年、まったくあたらしい(流行の)デザインの服が並ぶので、把握できないのです。
(でも世間では「無印とユニクロだけ・・・」なんて言われてしまうのですね・・苦笑)
ちなみにバッハが好き、というのも同じです笑
バッハの美しさはなにか規則的で、先が読めないドラマチックな展開がないせいかもしれません笑
古い楽器たちの乾いた音も好きですし、音楽理論を習ったときに「対位法」を勉強しましたが、対位法はとても規則的で進行をしていました。
大学のころ、休みがあったり、時間があっても、友人たちのようにぎゅうぎゅうに予定を詰め込めないことに劣等感を感じていました。
みんなはエンジョイしているのに、自分は家にいたり、ひとりで行動してばかりで、弱くて面白味がない人間だと思っていました。
だけど、それが心地いいならば、その自分を尊重していいのです。
〈この自分で大丈夫か?〉といつも考えてきましたが、
その大丈夫かの基準は世間一般の基準に合わせていた。
だから、いつまで経っても苦しかったのです。
自分の心地いい、自分の好きを間違いなく選んでいいのです、誰だって。
周りを見て、ひとりも自分と同じような人がいないと、
また、いつも同じものを着ておしゃれじゃない、とか(苦笑)なにか認められないようなことを言われると自分がだめに思えてきますが、
それを選んでいる理由が自分にあるんだって、自信を持っていいと思えました。
今、このタイミングでこの作品に会えたことにものずごく感謝しています。
これまでスピリチュアルな解決策を探してきましたが(わたしにはこちらも大いに役立っています!!)、
社会的な解決策、方策も積極的に探していこうと思えるようになっています。
自分のことをもっともっともっっっと深く広く知っていくことが、
そしてそれを自分の生活に自信を持って落とし込んでいくのがとても楽しみです。